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勤行 法話 partⅡ [その他・雑事]

今回は番外編で書きます
興味ない人はスルーしてください
尚、写真に出てくるカレンダーは2部余っていますので
(A4ノートサイズ、下側に2か月分)
欲しいなと思ってくださった方は、サイドバーからメールを
お願いします。ワタクシのメルアドご存じの方は直にね。
まぁいるヒトいないと思うけど先着順です(笑)

まず、勤行には、こういう教本があります
勤行.JPG

全然堅苦しくなくて、聞いてる分には
歌を歌っているようなリズムがあります
一文字一文字伸ばしているので耳に気持ちいいですよ

さて、その後の法話の内容ですが
これも全く堅苦しくありません。そしてワタクシのように
煩悩が多く、欲がましく人間できてない者には
うんうんと思い、反省せんとなぁと思いました

猿でも反省だけはできるんですけどねー

上の写真に

「貪愛瞋憎之雲霧」とありますね

貪欲と言うことから人間の持つ欲と言うものは
決して満足することがないものです。
欲しいものが手に入ったとしても
また違う心配(ぐち)が出てくる
ここで皆さんに「1億円」差し上げたとしましょう
(あくまでも、「もし」実際には差し上げられません)

すると帰る道中それを誰かに取られはしないかと心配する
家に帰れば家中鍵をかけてちょっとでも物音がすれば
泥棒でないかと疑心暗鬼になる
こうやってお金が欲しいと手に入っても、違う心配が出て
「おじゅっさんが一億円くれるくれるからだ」と責めてしまう

また、自分以外の人がガラスコップを割ったとすれば
みなさん「誰々が割った」と言いますね。
でも反対に自分が割った場合「割った」とは言いません
「割れた」と言います。
コップは勝手に割れません。
けれども自分がした場合「コップが割れた」と言います。
物事を自分中心に考えるから「割った」と責めるわけです

考え方を変えるだけで、
ありのままに受け止めることができます

愛は愛情を示します。
子供に片づけしなさいとしつけするのは
子供がちゃんと自立して生きていけるように言うわけです
野菜を食べなさいと怒るのも健康をかんがえてのことです
そこには子供に対する愛情があります

自分の身内、子供が先に亡くなった時、悲しいですね。
でも新聞のお悔やみ欄で名前をみてもなんとも思わない。
愛情を示すかかわりが全くないからです
自分に関係のないから人が何をしようと構わないわけで
人に腹を立てるのは、自分に迷惑が掛かってくるから怒る
関係ないことには腹が立ちませんからね

悩みと言うのは波のようなもので、
大きな波もあれば小さな波もある
また凪のようになんもない時もある
小さい波は日常の小さな不満、愚痴、悩み
それこそ今夜何しようか?と言うものから
生活の基盤を脅かすようなことは大きな波になりますよね
それでもいつかは波が引くようにどうにかなるもの
大きな船が来て助けてくれることもある

あるがままに受け入れていくこと感謝すること

(ココでカレンダーの言葉の写真を入れますね)
1月―4月.JPG

5月―8月.JPG

9月ー12月.JPG


カレンダーの言葉にもありますが(2枚目の下の段)
「たら」「れば」と悔やむよりも
「だからこそ」と前向きに考える
「病気をしなかったら」と思うより
「病気をしたからこそもっと健康に気を付けよう」と
自分がこの病気になったからこそ、
ほかの人の励みになっていることもあると

大道さんは高校生の時、高校球児でしたが試合中に
「もし、あそこでこうしていれば」
「あそこでこうなっていれば」
と考えることはいけないと禁止されていました
相手に点を取られても実在しなかったことを悔やむより
今自分にできることを考えなくてはいけないからです

ワタクシで言えば、1年と4か月前のあの時
駐車場でこけなかったら頸椎椎間板ヘルニアの手術を
する羽目にならなかったのですが
そのおかげで、母からの遺伝の「後縦靭帯骨化症」が
見つかり脊柱管も狭くなっていることがわかりました。
だからこそ、こけることは病気の進行を早めると
命にかかわることになりかねないと反省できました

現状をちゃんと受けいれて
「だからこそ」と受け止めれば
新たな道がおのずから開けてくるはずです

カレンダーは、大道さんが自分で考えた言葉を
ご自分で一つ一つ手書きで書いたそうです
うんうんと納得されることもあるのではないでしょうか


まぁ簡単にまとめてみました


みなさま方は、教養もあり、経験もあり、
素晴らしい方々であると思いますので、
こんな法話は退屈なものと思います

※この回、nice!、コメント欄は閉じておきます
   さて今日の分のネコ日記書こうっと[黒ハート]






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